真理値とは可能世界の集合である ~論理学の基礎から解説~

数学
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対象読者

  • 論理学の背景を知りたい方

結論

論理学とは、人類共通の思考方法を形式化し、その性質を研究する学問であるその基礎となるのは、真理値と呼ばれる真か偽かいずれかをとる値である

以下では、

  • 真理値がいかなる人間にとっても正しくなるように定められていて、
  • その真理値の操作によって、議論を簡便かつ厳密に展開していけるメリット

について解説する。

では、論理を形式化することがなぜ重要であるか確認しよう。

論理学の目的は思考の形式化

数式や論理式は明瞭な意味と簡潔さを併せ持つ、とてもエレガントな言語だ。普通に考えていては難しいような問題でも、数式を使えば解くことができたりする。

二次方程式の解の公式は古代メソポタミアに既に存在していた。それは自然言語(公用語)で記述されており、かなり難解だったようだ。現代では、数式が整備されたおかげで中学生ですら理解できる。

人間は物事を考える際、日常会話で使われる日本語や英語のような自然言語を用いる。数式や論理式は思考をスリム化することによって、より高度な議論を簡単に行えるようにした。論理学とは、人間共通の思考法を最小限のルールで記号化したものである

人種や国、果ては家族や個人ごとに考え方は異なる。思考は文化を反映している。それらの中で、共通した要素を抽出するには、どうすればよいだろうか。まずは、あらゆる文化でも成り立つ”正しさ”とは何かを考える必要がある。

言葉は文化によって変わる

世界は混沌としている。その中で認識できる単位を抽出・区別し、記号を与えることを「命名」という。つまり、記号とは、あるイメージの代用品であり、言語は記号の羅列として表される。

世界をどのように認識するかは文化が規定する。日本人は「昆布」や「ワカメ」、「もずく」のように海藻を区別するが、外国では分類もなく単に海藻としか言わなかったりする。逆に、日本人は雪を「みぞれ」や「ひょう」のように区別はするものの、イヌイットはもっと多様に雪を区別するらしい。

また、文化や立場、意図が言葉の内容を決める。日本人は「すみません」を「ありがとう」の意味で使ったりする。「(お手数をおかけして)すみません」ということで謝罪と感謝を表現しているのだ。また、「君、面白いね」とは、皮肉であり、「君はつまらない」という逆の意味で言う場合もある。

このような言葉の捉え方を推し進めていき、人類普遍のルールを探そうと考えると、「記号が指し示す内容が変化しても成り立つ」とはどういうことか、を明らかにしなければならない、という結論を得る。

真理値とは可能世界の分類

次の文を考える。

  • 人間は死ぬ

この文は明らかに成り立つように思われる。だが、

  • ”人間”という語が指し示す実体
  • “死ぬ”という語が表す性質

これらが文化によって別のものを表し得ることは上述の通りだ。記号と指し示す内容の対応関係を「可能世界」と呼ぶ。文化=可能世界だ。

屁理屈のように思われるかもしれないが、例えば、

“人間”という記号は「この世界でいうダイヤモンド」を表すのだとしたらどうだろう。ダイヤモンドは無機物であり、死にはしない。よって、そのような可能世界において、この文は成り立たなくなる。

では、”人間”という記号は「この世界でいうミジンコ」を表すような可能世界ではどうだろう。ミジンコは生物なので、死ぬ。よって、この文は成り立つ。

以上のように、可能世界が変わると、その文が正しいかどうかも変わってしまう。そんなことでは、あらゆる文化で共通する思考ルールは見つけられない。そこで、この文が成り立つ場合とそうでない場合に可能世界を分類する。

  • この文が成り立つ可能世界をすべて集めたものを「真」
  • それ以外の可能世界の集合を「偽」

と名付ける。この2値を総称して「真理値」という

記号と可能世界の関係

図1.記号と可能世界の関係

では、「「人間は死ぬ」は真である」とは、どういう意味か。それは、可能世界を片方に限定することだ。言い換えると、この文が成り立つような可能世界だけを選び出す、ということに他ならない。このように真理値を定義すれば、どんな文化(可能世界)から見ても、「成り立つ」と見做せる文を考えることができるのだ。

「人間は人間である」という文を可能世界を意識して書き直すと、「\(xはxである\)」となる。しかし、この文はどのような可能世界を選んだとしても成り立ってしまう。つまり、偽となり得ないのだ。このような文を「同語反復(またはトートロジー)」という。なんとなく、文化に依らないルールが見えてきた。

上記で見た文はかなり単純で、思考という複雑な過程とは程遠い。そこで、文を組み合わせたときの真理値を考える。

論理演算子という名の接続詞

あいつの仕業か。(とすると、)この前のあれ()…。もう怒ったぞ!(だから)、復讐してやる!

このように、感情などの意味が不安定な枝葉を刈り取ると、思考とは、接続詞によって文を結合し、新たな意味を作り出すことだ。

日本語には様々な接続詞がある。その中でも、論理学で基本となる接続詞は「または」、「かつ」、「ならば」、「ではない」(「ではない」)は厳密には副詞)である。こいつらは論理演算子と呼ばれる。

足し算「+」、引き算「-」のような演算子は数値を入力とし、数値の出力を返す。これと同様に、論理演算子は真理値を入力とし、真理値を出力する

以上のように、真理値を基礎として、文を接続していくことで、思考を最小限のルールで記号化していくことが論理学の体系だ。

推論は思考を推し進める

この中で、一番重要な論理演算子は「ならば」だ。(参考:「数学の「ならば」の本当の意味」)

別に、当たり前の文を「または」や「かつ」で繋ぎ合わせて新しい文を作ったからといって、何も嬉しくはない。文の接続によって、「既知の文を前提として、そこから未知の非自明な、有意義な結論を得ること」こそに意味がある

  1. PならばRである。
  2. QならばRである。
  3. PまたはQである。
  4. よって、Rである。

みたいな感じで、自明でない結論を正しく推論する手続きを形式をもって保証する体系が論理学だ

参考

  1. 論理学入門[三浦 俊彦]
  2. 記号論のへの招待[池上 嘉彦]

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