[含意]数学の「ならば」の意味は?真理値表の定義を日常会話から理解する

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対象読者

数学の「ならば」の真理値表について、以下のように思う方

  • 約束事として受け入れるのが気持ち悪い
  • その定義の妥当性を理解し、なぜそう約束したか納得したい

結論

数学の「ならば」の定義である真理値表を眺めても、日常会話の「ならば」とは全く異なるように見える。なぜこの真偽の羅列が「ならば」を表すことになるのだろうか。

これを理解するポイントは「寛容の原則」という、論理学の原則にある。

以下では、

  • 数学の「ならば」は日常会話のそれをガッツリ反映していること
  • 数学の「ならば」への勘違いの例

を確認し、論理の要である「ならば」への理解を深める。

まずは、数学における「ならば」の定義を確認する。

数学の「ならば」の定義

数学における「ならば\(\Rightarrow\)」は、2つの真理値\(P\)、\(Q\)の入力に対して、1つの真理値を出力する2項演算子だ。足し算が2つの数値を受け取って、1つの数値を返すのと同じ感じだ。

\(P\)と\(Q\)を「命題」とする。命題とは、真か偽かのいずれかとして判断できる文のことだ。

\(\{1,2,\dots\}\)を自然数というのと同じで、\(\{真、偽\}\)を「真理値」という。

真理値は2通りある。よって、\(P\)と\(Q\)の演算の結果は2×2=4通りある。以下に「\(\Rightarrow\)」の入出力の対応表をまとめる(真理値表という)。

表1.「ならば」の真理値表
\(P\)\(Q\)\(P \Rightarrow Q\)

これが数学における「ならば」の定義だ。

日常会話の「ならば」を「\(\Rightarrow\)」に当てはめる

一見、この表のどこが「ならば」なのか、意味☆不明。そこで、以下では日常会話の具体例を当てはめて、この真理値表の意味を考えてみる。

父が息子に対して、

「テストでいい点数をとったならば、ゲームを買ってあげよう」

と言ったとする。この発言を\(R\)と名付ける。

この文を表1に当てはめてみると、

  • \(P\)は「息子がテストで良い点数を取る」
  • \(Q\)は「父が息子にゲームを買ってあげる」
  • \(R\)は、\(P \Rightarrow Q\)

に対応する。

真理値表の4つの状況(表1の①から④)を以下で考察する。

表1.①の場合(\((P, Q, R) = (真, 真, 真)\))

これは妥当だ。

息子はいい点数を取り\(P\)、父はそれにしっかり報いた訳だ\(Q\)。このとき、発言\(R\)は正しいだろう。

表1.②の場合(\((P, Q, R) = (真, 偽, 偽)\))

これも妥当だ。

息子はいい点数を取った(\(P\))にも関わらず、父はゲームを買ってあげなかった状況だ(\(Q\))。当然、息子は発言\(R\)に対して、「お父さんの嘘つき!」と思うだろう。

表1.③の場合(\((P, Q, R) = (偽, 真, 真)\))

これは妥当か微妙だ

息子が悪い点数を取った(\(P\))のに、父はゲームを買ってくれたのだ(\(Q\))。お父さんチョロいわ~。発言\(R\)は嘘に思える。表1.③の取り決めはおかしい。

一方、父の慈悲により、残念な結果だった(\(P\))が、ゲームを買ってあげた(\(Q\))、という場合もあり得そうだ。この時、発言\(R\)を嘘というのは厳しすぎる気もする。

そもそも、「前提\(P\)通りにならなかったのだから、その結論\(Q\)がどうなろうが知ったことではない。俺は嘘はついてない。」と言われたら、なるほど一理ある。

表1.④の場合(\((P, Q, R) = (偽, 偽, 真)\))

これは妥当だ。

息子が悪い点数を取り(\(P\))、父はゲームを買ってあげなかった(\(Q\))。当然だ。

以上より、「ならば」の真理値表(表1)の定義は日常会話の「ならば」の語感を反映していることを確認したが、表1.③についてのみ疑問が残った

しかし、表1.③の発言\(R\)を真と定義すべきだ、と論理学の原則「寛容の原則」は言っている。

寛容の原則

一見、真偽が明らかに思える主張でも、それを掘り下げると、自信をもって真偽を判定できなくなってしまう。厳密にはどうかはさておき、明らかに偽と言えないならば、真であると見做そうよ。これが寛容の原則だ。

以下のような主張があるとする。それぞれの真偽について考える。

  1. 日本の首都は東京である
  2. 今日は良い天気ですね

1.については一見、正しいように思われる。しかし、それはいつの時代なのか。平安時代なら、この主張は偽となるし、先史時代ならば、そもそも首都と言えるようなところがあったのかも分からない。また、「東京」という語は何を意味しているだろうか。偏屈が過ぎるが、その話者特有の造語かもしれない。

2.については、どうだろう。「純度100%の快晴ならば良い天気だと断言できるだろう。しかし、今日は確かに晴れてはいるが、まばらに曇っているぞ。”良い天気”とはどういった天候のことなのかだろうか。晴れ時々曇りはいい天気なのだろうか…。」などと返事されたらドン引きだ。

以上より、主張を疑いだしたらキリがないし、話ができなくなる。だから、論理学では、なるべくその文が正しくなるよう寛容に解釈する

表1.③の定義は妥当なのか微妙だった。だからこそ、\(P \Rightarrow Q\)(発言\(R\))は真ということにしておこうよ。こうして、「ならば」の真理値表(表1)は完成した。

この真理値表が日常の「ならば」を反映していることは、日常語で「ならば」は別の言い回しができることと同様に、「\(\Rightarrow\)」も別の論理演算子の組み合わせに書き換えることからも窺える(詳細はこちら)。

「ならば」の間違った捉え方(参考※1)

一方、表1の定義を知らない大学生に「ならば」の真理値表を考えてもらうと、以下のような回答が多いみたいだ。その真理値表は数学の定義とは食い違っている(赤文字の部分)。

表2.大学生が考えた「ならば」の真理値表
\(P\)\(Q\)\(P \Rightarrow Q\)

その大学生たちはどのように考えたのだろうか。それは以下のような場面を想定したからだ。

約束に関する場面

以下のような\(P \Rightarrow Q\)の発言があるとする。

  1. レポートを提出すれば、単位をあげるよ
  2. 身代金を支払えば、人質は解放する

対して、大学生の考えた状況は(表2.③)以下のように対応する。

  1. レポートを提出しなかったのに、単位がもらえた
  2. 身代金を支払っていないのに、人質が解放された

このとき、発言1.、2.は嘘になってしまったのだろうか。寛容の原則に従って考えるならば、発言の前提が偽であるため、嘘とは言えない。

にも拘らず、なぜ大学生たちは表2.③だと考えたのだろうか。

「ならば\(\Rightarrow\)」と「同値\(\Leftrightarrow\)」の混同

その理由は、実は、大学生たちが考えた「ならば」は純粋なものではなかったからだ。以下のように、暗に、逆方向の「ならば」も考えてしまっていたのだ(\(Q \Rightarrow P\))。

  1. 単位が欲しいならば、レポートを出せ
  2. 人質を解放して欲しいならば、身代金を払え

この逆方向の「ならば」と③の状況は確かに食い違っている。これを根拠に大学生は表2.③を偽と定義したのだ。

\(P \Rightarrow Q\)と\(Q \Rightarrow P\)を同時に満たすような関係を同値といい、「\(P \Leftrightarrow Q\)」と表す。同値は両辺の真理値が同じだった場合は真を、異なる場合は偽を返す。表2は実は、同値の真理値表だったのだ。

日常会話ははやりフワッとしたところがあるので、以上のような間違いをおかしてしまいがちだ。これまでの議論を押さえれば、「ならば」と「同値」の区別ができるので、

  • 意図しない勘違いを引き起こしてしまったり、
  • 誤った結論を下したり

を減らすことができるはずだ。きっと。

参考

  1. 論理学入門 [三浦 俊彦]
数学
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