結論
僕なんてまだまだですよ~
そんなことないですぅ〜
みたいに、謙虚な物言いをする人がいる。能力が高いにも関わらず謙遜する人がいる。これを本記事では過剰な謙虚さと呼ぶ。率直に言って、私はそういう人が嫌いだ。
本記事では、この過剰な謙虚さの正体について、またなぜこれが不愉快なのかを考察する。
なお、本記事では謙虚に振る舞うことを「謙遜する」という動詞で呼ぶことにする。
謙虚さは相手によって使い分けなければ、ただの嫌味な奴と見做されかねない。自分より能力が高い人に対しては謙虚に、自分以下の人に対しては「そういう目で見てくれてありがとう」と言うべきだ。その理由について、場合分けして考える。
謙虚さは上達する上で重要
過剰な謙虚さの奥にある尊大さ
例えば、自分よりテストの点数が高い奴が「私なんて頭悪いよ」みたいなに謙遜していたら、「おや、どうした?」と思わないだろうか。あなたよりも点数が低い私。あなたでさえ頭が悪いのならば、自分の立場がないではないか。ここにバツの悪さというか、嫌みを感じる訳だ。
まず、謙遜する人を3つの場合の掛け算、つまり8通りで考えてみる。高い目標を持っているか × 実際の当人の能力の高さ × メタ認知力(自分の能力を自覚できる能力)の有無 の23の8通りがある。このうち、全てを満たす人(赤文字に該当する人)がウザい。
高い目標 | 能力が高い | メタ認知力 | 謙遜のウザさ |
〇 | 〇 | 〇 | 〇 |
〇 | 〇 | × | × |
〇 | × | 〇 | × |
〇 | × | × | × |
× | 〇 | 〇 | × |
× | 〇 | × | × |
× | × | 〇 | × |
× | × | × | × |
高い目標がない場合は謙遜しない
高い目標と比べたら、現状の自分は常に改善余地ばかりの劣等生に見える。この劣等感が謙虚さを生む。そもそも、高い目標がない場合、自分の能力の低さを省みることはないはずだ。だって、他と自分を比較する基準がないからだ。故に、高い目標というか、高い自己肯定感がない人はそもそも卑下しない。つまり、謙遜しない。
故に、高い目標があることを前提に以後の考察を進める。
しかし、過剰な謙虚さは能力の高さを匂わす条件でもある。相対評価、つまり周りと比べて自分が高い地位にあることに甘んじる者はマウントをとって自己満足できるかもしれないが、所詮、井の中の蛙になるのがオチだ。より高みを目指す者の条件が謙虚さである。
その点において、謙虚さは上級者の指標となる。
高い能力がある(上級者の)場合
その上で、高い能力がある人(以後、上級者と呼ぶ)が謙虚な場合、以下の2つの原因が考えられる。
- 上級者ではない
- 自分の能力を把握できない
上級者であれば、その分野の知識に秀でているはずだ。故に、自分の能力がいかほどのものかを理解できるはずだ。自分の能力を客観視できているならば、相手の能力の高さも理解できるはずだ。
その上で、相手が自分の能力より劣っているにも関わらず、謙遜するのは嫌味でしかない。
ウザい謙虚さの対応表
メタ認知力 × 高い目標 × 能力が高い
過剰な謙虚さの原因は主に2つあるように思う。
そうではなく、自身の能力をしっかり理解した上での謙遜は
自分の能力を客観視できているならば、相手の能力の高さも理解できるはずだ。
その上で、相手が自分の能力より劣っているにも関わらず、謙遜するのは嫌味でしかない。
ウザい謙虚さの対応表
メタ認知力 × 高い目標 × 能力が高い
ムカつくのはこれらをすべて満たした上での過剰な謙虚さだ。
メタ認知力と能力の高さは比例するように思う。能力向上において重要な要素は認知能力だからだ。
つまり、高いの能力を持ってるなるば、自他の能力値を理解できる人が大いに違いない。
だから、上級者の謙遜は見下した態度が裏に隠れているのだと邪推してしまう
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