暇を持て余した人生は虚しい ~熱中できるものを見つけよ~

あの世には何も持っていけない。そんな死生観の人(私)にとって、人生とは暇つぶしに他ならない。それでも、最後は充実感と共に逝きたい。これを大往生と呼ぶとしよう。

大往生できるかどうかは、暇な時間を有意義に過ごせるかにかかっているのだと思う。

それなのに、いいのか。こんな自堕落な生活。

仕事して、夜は飲んだくれて、アニメやゲームで時間を潰し、友人と適当に遊ぶ。そして、気づいたら、私はアラサーとなっていた。

そんな問題意識を抱えつつも、自堕落がやめられない、止まらない、やめる理由も見当たらない。そこに、人生に対するモヤモヤがあるんだと思う。

この漠然とした不満を解消するためには、暇な時間の尊さを認識するところから始めなければならない。

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暇とは豊かさ

暇な時間が持てるのは、それだけ豊かで、ゆとりがあるからだ。狩猟採集の生活や借金に追われるような生活では、心や時間に余裕がなく、「暇だ」という感情を抱けないだろう。

暇(心や時間のゆとり)があるからこそ、想像の翼を広げることができる。古代ギリシアで学問があれほど発展できたのは、古代ギリシアが奴隷社会であり、暇を持て余した人がいて、学問に取り組んだからだ。

暇とは、人間的にとても価値がある尊いものなのだ。しかし、現代になってもなお、暇は犠牲を払って手に入れられる貴重品なのだ。

暇な時間はお金と等価

ほとんどの社会人が日給や月給などの定額制から生計を立てている。仕事を楽しめない人にとっては、就業という拘束は苦痛でしかない。その苦痛の対価として給与を得る。これは人生という有限の時間を切り売りすることを意味する。つまり、定額制において、お金と人生は同じ重みを持つはずなのだ。

以下の条件で働く人がいるとする。話を簡単にするために、ボーナスや税等は考慮しない。

  • 月収の手取りが20万円
  • 月の稼働日数は20日

この人の1日の価値は1万円となる。逆に言うと、1万円で人生の1日を買うことができるのだ。1万円の価値はこれほど重いはずだ(条件は適宜読み替えて、自分の1日はいくらか考えてみるのも面白いかもしれない)。

土日などの休日は、1万円を得ることの機会損失と引き換えに得た暇な時間なのだ。

暇つぶしに飲む

学校でも会社でもそうだが、平日はしんどい。時間や行動を拘束され、やりたくもないことをやらされる訳だから当たり前だ。そんな苦しみに耐えたご褒美として、アフターファイブや休日が訪れる。

しかし、暇な時間とは、犠牲の上に手に入れた貴重品なのだ。

飲みに行ったり、ひいてはハシゴをしたりする。これが心の底から幸せだと思えるのなら、この出費には価値があるだろう。だが、単なる苦痛を癒すためだけの飲みだとしたら、元を取り返せるだけの価値があるのだろうか。仕事や上司、会社の愚痴、いつもと同じ話題を言うだけの飲みに価値があるのだろうか。飲み屋で飲むのは金銭的にも時間的にも高コストだ。

そして、飲み代を稼ぐために、また拘束され、その憂さ晴らしに金を使う、という負のループに落ち込んでいく。

暇つぶしにゲーム、アニメ・漫画

低コストな暇つぶしとして、ゲームやアニメ、漫画はお手軽だ。私もよくやる。しかし、大人になった弊害か、心の底から楽しむことができなくなった。いい作品だったとしても、どことなく虚しさがあるのだ。その理由は以下だ。

  • 終わりがある。
  • 他に活かすことができない
  • 暇を消費しただけで、生産的でない

とあるゲームに習熟したからといって、別のことにこのスキルが活きる訳ではない。ストーリーに感動したからといって、その作品は終わってしまう。仕事して得た暇をこういった娯楽に費やすことは、娯楽のために人生を切り崩す感覚がある。

勿論、余韻に浸ったり、充実感を覚えることもある。そんな人は熱中して取り組めば、大往生が見えてくるだろう。だが、私は少しモヤモヤしてしまう。

歳を食うのではなく、歳を重ねたい

現在、私は27歳だ。世間一般から見れば若いが、学生から見たらおっさんだ。25歳の時はまだ20代半ばと言えたけど、26歳を超えると認めざるを得ない、アラサーであると。気づけば、人生の4分の1は終わってるな。

最近は年上の友人からよく「若いうちに遊んでおけ」と言われるようになった。こういう発言に対して、私は少し違和感を覚える。「人生は若いうちにしか価値がない」と言ってるような気がして。

だとすると、今後の人生は、仕事(さらには所帯*1)に拘束されながら、ただ枯れていくだけの運命にあるのだろうか。それは悲しい。

年齢が上がることには2種類あると思う。「歳を食う」と「歳を重ねる」だ。それぞれ以下のように定義したい。

  • 歳を食うとは、暇な時間を無駄に過ごすこと
  • 歳を重ねるとは、暇な時間を有意義に過ごすこと

上の「若いうちに遊んでおけ」という発言は、余生を「歳を食う」と見做しているんだと思う。

歳を重ねるとは、人生の充実を積み重ねることなのだろう。充実の積み重ねがその人に深みを与える。歳を重ねることのゴールに大往生がある。

無駄だとか有意義だとかは、個人の主観に基づくものだと思う。

暇つぶしが無駄かどうかの基準

独りでは暇で退屈で仕方がない、という人がいる。しかし、熱中できる何かがあるのなら、暇にはならないはずだ。いや、人生自体が暇つぶしなので、熱中していても、暇つぶしであることに代わりないが。

熱中できる暇つぶしは有意義だ。それは、その人の内面にも外面にも価値を与える。

熱中して取り組む、という体験は充実感を生む。これは、当人の1日の値段に釣り合うか、それ以上の価値がある。だって、充実してるんだから。

熱中して取り組めば、語れる何かを得られる。そんな人との会話は面白く、魅力的な人格者になるだろう。だから、私はオタクが好きだ。

逆に、熱中するでもない、ダラダラとした暇つぶしは無駄だ

そういった無駄な暇つぶし(e.g. 飲み、ショッピング)は金がかかることが多いし、満足感も薄い。また、漫然と時間を潰しているだけなので、語れるものも身に付かない。

ルーティーンによって歳を重ねる

そもそも熱中できるものがあるのなら、人生にモヤモヤしないだろう。いや、熱中できるものはあっても、金銭的な面で制約を受けてモヤモヤしてしまうこともあろう。つまり、次の2つを満たせば、充実した人生を歩めるはず。

  • 熱中できるものがある
  • それに十分暇を割ける

これを同時に満たすためには、単に独りで熱中するのではなく、それを生業に昇華させる必要がある。自己満足が基盤だが、それが他者から評価される必要がある。そのためには、アウトプットしなければならない

熱中できるものをアウトプットするのは一朝一夕では無理だ。そこでルーティーンの出番だ。ノルマを設定し、それに従ってコンテンツを作っていくのだ。これが大往生への道である。

わいもがんばろっと。別にそれが報われなくてもいい。だって、充実してるんだから。

注釈

*1 : なお、筆者には彼女すらいない模様

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