対象読者
- 近年の人工知能ブームに懐疑的な方
結論
- 世間は人工知能に期待しすぎ
- 2045年に人工知能が人類の知能を上回ること(シンギュラリティ)は起きなさそう
根拠
シンギュラリティ(技術的特異点とは)
シンギュラリティとは、AIが人類の知能を超える転換点のことである。AIが自分よりも賢いAIを生み出すように作れるようになった時、シンギュラリティが起こるとされる。シンギュラリティ以降、AIは無限に賢くなっていく。はの時は0になるが、の時は無限大に発散するのと同じことだ。
カーツワイル氏の予測はデタラメ[参考1,2]
実業家のカーツワイル氏はシンギュラリティが2045年に来ると予測した(2045年問題)。この2045年というのは、彼が提唱する「収穫加速の法則」から導かれた。これは、科学技術は指数関数的に進歩する、という経験則を指す。
収穫加速の法則に当てはまる一例として、「ムーアの法則」がある。これは1965年あたりで述べられた経験則であり、要するに、PCの計算能力は1.5年間で約2倍に向上することを予測するものだ。
しかし、ムーア自身もこの法則は長くは続かない、と予測していたようだ。ムーアの法則は「法則」と呼ぶには相応しくない、いわば経験則に過ぎないのだが、カーツワイル氏は安直にこのムーアの法則と同じことがAIにも起こる、と予測したのだ。
外野から見ると、AIに大きすぎる期待を抱いてしまうだろう。ましてや、著名人が2045年なんて具体的な数字も出している訳で、益々大きすぎる期待を抱きかねない。
インフルエンサーの煽り
私はTwitter界隈のインフルエンサーが2045年問題を引用し、「労働者の仕事が減るし、オマエら将来ヤバイよ」みたいな感じの発言をしているのを見たことがある。しかし、この予想はどれほど現実味があるのだろうか。傍から見れば、AIは計り知れない力も秘めていて、いつか人間の知能を超える、と安直に期待していることだろう。
今後、AIを活用した自動化は推し進められ、人間の仕事は奪われるであろう(逆に新しい仕事が創出されるだろうが)。AIブームにグローバル化も相まって、経済格差は今後、急速に拡大していくだろう。そういった意味で危機感を煽る行為は妥当かもしれない。しかし、2045年問題を引用している点が胡散臭い。
AIの現場
私はAIの応用に関する業務に携わっている。その業務はかなり泥臭く、シンギュラリティの予感は微塵もない。以下は人間がやらなければならない仕事だ。
- 地道な比較検討(AIの学習に対するガイドラインはまだ整理されていない)
- 学習で最適化する量(損失関数や報酬など)の設計
- AIに学習させるデータの準備
- 学習済みAIを応用するプログラムの作成
- …
これらの仕事をAI自身が行う未来を私はまだ想像できない。
概念を理解できない[参考3]
2011年にIBMが開発した「ワトソン」は、アメリカのクイズ番組にて、チャンピオンを破り、世間を賑わせた。
しかし、ワトソンはクイズの質問を理解している訳ではない。大量の文献(本、辞書など)から統計に基づいて、回答を返しているだけだ。質問文から、その情景や観念をイメージしたり、その分を理解しているわけではない。
ワトソンは歴史的な成果ではあるが、人間の知能と比べれば、大したことはない。ワトソンの力は色んな工夫はあると思うが、マシンパワーでゴリ押しした探索が主なのだ。
シンギュラリティは起きそうにない[参考3]
AIは現在、第3回目のブームである。確かにディープラーニングは特徴量学習というブレークスルーを成し遂げた。画像認識技術において、画像のどの特徴に着目するかは従来はエンジニアが設計していた。ディープラーニングはその設計の自動化を可能にした。
例えば、手書き文字(例えば3という数字)について学習したディープラーニングが持つパラメータを可視化したら、数字3のような模様が浮かび上がる。これはまさしく、一般的な数字3であり、数字3の概念を表現したものだ。
ディープラーニングはAIが概念を理解しうる可能性を示した。しかし、それがシンギュラリティに至るにはまだまだ大きな隔たりがある。
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